古くから池や川での舟遊びが楽しまれていた記録が残されていますが、平安時代に入ると、舟遊びは庶民から貴族の遊びとしてなお盛んになり、船上で酒宴が行われたと万葉集にも詠れています。 この頃から「館船(やかたぶね)」の言葉が使われ始めます。
江戸時代、江戸は隅田川・荒川を中心とした河川や、堀を使った水上交通が発達した水上都市であったので、江戸の文化・経済が栄えるようになるにつれ、屋形船遊びも大いに隆盛に至りました。江戸に文化・経済が絢爛豪華に発展できたのは、第一に「河」あるいは「堀」と呼ばれる水上交通があったからなのです。 元禄時代、徳川の泰平・江戸の世の商人文化が熟するにつれ、碌のある武士や大名や、豪商や比較的裕福な町民達が盛んに屋形船遊びを行いました。その頃になると江戸のみならず、大阪・京都等の上方の屋形船も隆盛し、日本各地で桜を愛でたり、俳句を詠んだり唄を歌い…と「イキ」と「ハレ」を楽しむようになりました。
屋形舟遊びは明治維新後も生き残り、裕福な庶民の間で「風流な水上の遊び」として明治、大正、昭和初期と続いて日本全国で親しまれてきましたが、日本の敗戦と伴にその姿を消し、1980年代のバブル期になって優雅な舟遊びとして復活し、現在では多くの方が職場の仲間やご家族などで楽しまれるようになりました。